Three Mens Of Various Types

28 03 2012

「終末のフール(著:伊坂幸太郎」を読み終わりました。

そこで得られたことから少し書きたいと思います。

 

 

 

1、『新しいことををはじめるには、三人の人に意見を聞きなさい』

 

このセリフが途中出てくるのですが、それがまた興味深いものだったので紹介させてもらいました。

「尊敬している人」「自分には理解できない人」「これから新しく出会う人」

なんだそうです。

これについてはすごく納得のいくもので

誰しも心地よいものや人をそばに置きたいし、そういう風になっていくものだけれど

「新しいこと」というのは自分という殻をぶち破る機会だと思うのです。

僕自身もすでに違うステージに立とうと思い動きはじめているわけですが

なかなか迷うことが多いのも事実です。

ただ、そのときにその場のためだけの癒しを求めることはあってはならないと思っています。

自分の将来を明るくするものではないと思うからです。

そういうことから、このセリフはとても意味あるものだと思っています。

自分にとって「尊敬している人」の候補はいますが、

まだそこまでの人はいないのでこれはまだまだ人に出会っていく必要があります。

「自分には理解できない人」

これもそこまでいないのですが、これから探していきたいと思っています。

最後の「これから新しく出会う人」これについてはすでに着手しています。

少しずつですが動き出していきたいと思います。

 

 

2、太陽

この本の最後に吉野仁さんが解説を書いてくれているので、少しそこについても触れておきたいと思います。

「終末のフール」では「死と生」という非常に難しいテーマが書かれています。

これについて解説では

「スイカを甘くするのであれば本来砂糖をふればいいのに

甘いとは逆の塩を隠し味的要素として加えることで甘味がひきたつ」という例や

「太陽が日中に空にあがっているときはそこまで太陽の大きさを感じることはないが

西の空に沈むときに手前にビルなどの比較対象物があることで

太陽の大きさがより強調されて昼間の太陽より大きく見えてしまう錯覚」という例もあげられています。

 

これと同様に

「死ぬ」ということも「生きる」という一見反対のようでいて実は隠し味的要素になっているものを考えると

すんなり問題は解決するのではないかと思います。

特に「自殺する」ということについてはなおさらそう思います。

人は常に生きているわけで、普段気にしないでいれば日々は過ぎていきます。

ただ、正面きって考えるとその大きさにさいなまれてしまい命をたつということもあるのかもしれません。

ということは漫然とすごくのではなく

「死」というものがいかなるものかを考えることによって

「生」というものの存在がより引き立つのではないでしょうか。

自殺をする人に対してのアプローチというものはなかなか難しいものです。

精神論だけでもいけないし、現実論だけでもいけないし。

ただ、その根底にあるところで「死」とはなんぞやと比較対象することで

逃れられるのなら「生きる」道を選択できる人も増えるのではないかと思います。

「死」が美化する日本人ならではの感性が自殺を誘発する要因になっているのかもしれない

そんなことを感じてしまいました(もちろん「死者」は丁重に扱われるべきですが)

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